メルヘンの世界とオペラ     作曲:中島 洋一

 

 実はこのタイトルを選んで困ったことになったと思いました。私が今思い浮かべることが出来るメルヘン・オペラ作品というと、今回のオペラコンサートの演目である、フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』とラヴェルの『子どもと呪文』くらいしかないのです。しかし、メルヘン的世界を描いたオペラというところまで範囲を広げると、アンデルセンの『人魚姫』の物語の影響を受けたドボルザークの『ルサルカ』や、良く知られたモーツァルトの『魔笛』なども、メルヘン・オペラの範疇に含むことが出来るかもしれません。
 そこで、まずドイツ語のメールヒェン(Märchen)という言葉の持つ本来の意味について、少し調べてみました。次は『グリム童話集』を訳された金田鬼一氏の説の受け売りですが、それは「童話」と訳すことも可能だが、「おとぎ話」と訳してもおかしくないと書かれております。我が国にも、室町時代~江戸時代に流行った「御伽草子」というものがありますが、対象となる読者は、子どもとはいえません。また、メールヒェンは大きく分類すると、Volksmärchen(民間童話)と Kunstmärchen(創作童話)となるということですが、フランスのぺローや、グリムが集めた物語は口承で伝わって来た話を収集したもので、それは民衆の生活と夢を伝える物語であり、我が国の「むかしばなし」同様、鑑賞の対象は必ずしも子ども達だけに限定されたものではなかったと思います。実際に昔話やグリムの童話の中には、必ずしも子ども向とは云い難い話もあります。しかし、この問題を掘り下げて行くことは、私の能力の遠く及ばないところであるだけでなく、今回のテーマから少し脱線してしまいますので、グリム童話の話題が出たところで、主にオペラ作品の『ヘンゼルとグレーテル』と、そのもととなった、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』の物語とを比較し、必要に応じて、他の作品にも触れながら、話しを進めて行きたいと思います。  

 子ども時代の読書の記憶 

 私は小学校高学年だった頃は、片田舎の子どもとしては珍しいほどの読書少年でした。読んだ本の殆どは童話か、科学の本でしたが、愛読した童話作品は、アンデルセン、小川未明、ワイルド、トルストイ、ラーゲルレーヴなどで、その多くが創作童話でした。もちろん、グリム童話や、イソップ物語なども少しは読みましたが、あまり強く印象に残っていないのです。アンデルセン、ワイルド、小川未明などは特に好きで、アンデルセンの童話を読んで涙が出るほど感動したことは幾度もありましたが、グリムの童話ではそういう経験はありませんでした。
 アンデルセンは19世紀の詩人・童話作家であり、その晩年、当時まだ若かった北欧の作曲家グリーグ(1843-1907)とも交流がありました。そして、フンパーディンク(1854-1924)もグリーグとほぼ同じく19世紀後半に活躍した人です。一方、グリム童話も活字として出版されたのは18121857年で19世紀でしたが、それは、口承で伝えられて来た民話を、グリム兄弟が聞き採って編集したものです。そこには、遠い過去から近い過去までの庶民の生活と夢の記憶が刻み込まれているはずです。そして、それを口承で伝えて来た人々の多くは、読み書きも出来ない無学で貧しい人々だったことが想像されます。
  一方、アンデルセンの愛読者だったり、オペラを楽しんだりしていた人々の多くは、そこそこ裕福で、そこそこの教養を備えた市民層だったことが想像されます。

 オペラとグリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』

 グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』の物語は、子捨ての話です。貧しい木こり(オペラではホウキ作り)の子どもである兄妹は、両親から二度も捨てられます。残酷に思われますが、洋の違いにかかわらず、昔の庶民の生活においては、飢饉などに襲われた時、共倒れになることを避けるために、子どもを捨てたり、殺したり、あるいは「姨捨」の話に残るように、年老いて働けなくなった老人を捨てるのは、それほど珍しいことではなかったようです。今なら児童虐待で刑務所送りというところでしょうが。
 
オペラでは、子捨てではなく、仕事をしないで遊び回る子ども達に腹を立てた母親が、森へ行ってイチゴを摘んで来るように命じます。しかし、父親から、「森には恐ろしいお菓子の魔女が住んでいる」と聞かされ、母親は恐ろしくなり、父親と一緒に子ども達を探しに森へ行くように書かれています。
 その他にも、オペラと原作が異なっている個所は沢山あります。オペラの魔女は、お菓子の魔女であり、子ども達をお菓子にして食べてしまいす。原作ではお菓子の家は子ども達を誘うための罠であり、魔女は魔女の家に住んでいて、子ども達をつかまえて煮たり焼いたりして食べる人食い女です。おそらく日本の民話に登場する山姥(やまんば)や鬼婆と同系統の存在でしょう。魔女や山姥は、もとは人間だったのですが、人を食らっているうちに妖怪に変身してしまった存在です。またオペラでは、魔女は死んだ後、黒こげの焼死体になるのではなく、ジンジャーブレッド(お菓子の一種)になって出てきます。そのような粉飾は、19世紀の市民の子ども達には残酷すぎるところを緩和し、よりおとぎ話的な装いを施すための脚色でしょう。
 また、オペラでは夜には眠りの精が砂袋を持って現れ、兄妹に砂粒を投げかけて眠らせます。朝には露の精が現れ、兄妹の目に露のしずくを注ぎ、目を覚まさせます。そして、二人が眠っている時には14人の天使が現れ、子ども達を守るように取り囲みます(天使のパントマイム)。原作にはないこれらのシーンを加えたのは、作品をより美しく幻想的なものにするためのロマン派の作曲家らしい工夫でしょう。
 逆に原作にあってオペラにないシーンもあります。兄妹が数日間森をさまよい飢えて死にそうになった時、白い小鳥が現れ、兄妹をお菓子の家まで導きます。その小鳥は魔女の手先ではないかって?いえ、そうではないでしょう。お菓子の家にありつけなければ飢死にするところだったのですから。また魔女が死に、魔女の森から脱出して我が家をめざす時、大きな川に遮られますが、白い鴨の背中に乗せてもらい無事に渡ります。民話にはこういうシーンが多く見られますが、そこには、キリスト教以前の民族神話の世界とのつながりを見ることが出来るのではないかと思います。森や川は魔女や妖怪が住む恐ろしい所ではありますが、その一方、生きて行くための豊かな恵みを与えてくれるかけがえのない神聖な場所でもあったのではないでしょうか。そして、動物や植物たちも、その自然の中で共に生きる仲間達であったのではないでしょうか。
 それと、改めて原作を読んで気がついたことがありました。私が子どもの頃読んだ『ヘンゼルとグレーテル』では、両親は子ども達を捨てたことを後悔し、子ども達が魔女の森から戻ると泣いて喜び、自分達の行いについてあやまり、その後は仲良く暮らすというストーリーになっていたような気がします。ところが原作では、母親はまま母で、積極的に子ども達を捨てようとし、お人好しだが気が弱い父親は不本意ながらしぶしぶ同意するというように書かれています。そして、兄妹が家に帰るとすでに母親は死んでいて、その後は父親と三人で仲良く暮らすようになっています。
 一般に民話では、主人公は善人であり、話の聞き手は主人公を自分に置き換え感情移入して、物語の展開をはらはらしながらみまもります。その一方、意地悪ばあさんとか、嫌な金持ちなど、悪玉が登場し、悪玉が失敗したりひどい目にあったりする話しを「ざまーみろ」と拍手喝采して聞くのです。例えば『舌切り雀』のおばあさんなどは、雀の舌を切るという意地悪な行いをしていてながら、厚かましくも雀のお宿に寄り、欲張って大きなつづらを持ち帰ります。帰り道でつづらを開けてみると、そこからは大判小判ではなく、沢山のお化けが出てきておばあさんは腰を抜かしますが、やさしく無欲な善人の主人公のおじいさんに対して、おばあさんは「ざまーみろ」の対象となる欲張りでずるい人間、つまり悪玉として書かれています。  では、魔女は悪玉でしょうか。いや魔女は妖怪であり恐ろしい存在でしょうが、超人間的存在であり、悪玉人間の範疇には入らないでしょう。私は原作においては、母親がそのような存在として書かれているように思います。子どもの頃読んだ『ヘンゼルとグレーテル』が、いまひとつ印象が薄かったのは、それが子ども用に脚色されていたことも要因の一つだったかもしれません。編者は、子どもを平気で捨てる母親の話は、あまり子ども達に読んで欲しくないものと考えたのでしょう。  

19世紀の芸術家達が抱いた夢と、民話にみられる昔の貧しい庶民の夢 

では、今度は物語の結末をみてみましょう。オペラでは、魔女が死んだ後、お菓子にされていた子ども達の魔法を解き、みんなが助かったことを喜び、自分達をお救い下さった神様に感謝して幕を閉じます。グリム童話の方は、魔女が死んだ後、魔女の家の中を探すと、あちこちに真珠や宝石の入ったながもちがあり、兄妹はその宝石類を沢山持ち帰り、その後、お父さんと豊かで幸せな生活を送るというオチになっています。人食い女である魔女が、沢山の宝石類を蓄えているなど荒唐無稽でおかしな話しですが、「沢山の宝物を手に入れて、家族仲良く幸せに暮らす」というハッピーエンドは、洋の東西の違いにかかわらず、民話に多く見られる結末です。つまり「大判小判がザックザックザックザク」は庶民の切実な夢だったのです。「貧しくとも愛に満ちた心豊かな生活を送る」などという考え方は、生きて行くために、場合によっては親や子を捨てたりしなければならないほど貧しかった庶民にとって、嘘っぱちに感じられたことでしょう。物の存在は、家族が仲良く生活して行くための必要不可欠な条件だったのです。
 こんどは、アンデルセンの作品や他の
19世紀のオペラ作品の例をみてみましょう。まず、アンデルセンの『人魚姫』です。嵐の日に地上の王子様を助け、そして、その王子様に恋をしてしまった人魚姫は、魔法使いに頼み、人間の娘にしてもらいます。ただそれは、もう人魚には戻れないこと、もし王子様が他の女性と結婚した時には、人魚姫の心臓は破裂し、水の上の泡になってしまう、という約束を受け入れてのことだったのです。王子様は人間の娘になった人魚姫を愛(いつく)しみましたが、やがて隣の国の王女様と結婚することになります。姉さんが魔法使いからもらった短刀を持って来て言います。「この短刀で王子の心臓を刺し、その血を足に浴びれば、お前はもとの人魚に戻れるのだよ」と。人魚姫は姉さんの言いつけ通りにしようとしますが、短刀で愛する王子様の心臓を突き刺すことはとても出来ず、短刀を海に投げ捨ててしまいます。人魚姫は自分の体が泡になって行くのを感じますが、やがて泡を抜け、空気の精になります。そして、王女様にキスをし、王子様に微笑みかけ、天に昇って行きます。
 では、『人魚姫』の物語を素材の一部として取り入れている、ドヴォルザークのオペラ『ルサルカ』の結末をみてみましょう。短刀を受け取ったルサルカが王子を殺すことが出来ず、短刀を捨ててしまうところまでは、『人魚姫』の物語と似ています。それから王子は一人で夜の森に現れ、ルサルカに赦しを乞います。ルサルカは自分に口づけすれば王子の命がないことを告げます。しかし、王子はルサルカを抱いて自ら口づけをします。ルサルカは王子の亡骸をやさしく抱きながら共に湖の底に沈んで行きます。
 
自分が相手を受け入れれば死ぬことを知りながら、敢えてそうした結末を迎えるオペラには、ワーグナーの『さまよえるオランダ人』があります。ゼンタの父は欲に目がくらみ、航海で出会ったオランダ人に自分の娘をくれてやっても良いとの約束を交わしてしまいます。ゼンタは父に連れられ自分の家を訪れたオランダ人が、自分がいつも見つめていた「不幸なさまよえるオランダ人」の肖像画の男だということにすぐ気づき、一層深く彼を愛するようになります。オランダ人との約束を果たす日、オランダ人の正体が幽霊船の船長で呪われた亡者であることを知った父や昔の恋人は、ゼンタを止めようとします。しかし、ゼンタは自分の婚約者が幽霊であることを知りながら止めようとする手をふり切って、自ら海に身を投じます。幽霊船は沈没し、オランダ人の呪いは解け、その魂は救われ、ゼンタと共に天へ昇って行きます。
 民話の庶民達の第一の夢は「大判小判がザックザック」つまり豊かな物でした。それに対して、いま上げた19世紀作品のテーマは「まことの愛」です。19世紀人はなんて甘っちょろく非現実的な夢を抱くのだろう、と思う人がいるかもしれませんが、魔女の家から沢山宝物を持ち帰るとい話しだって随分非現実的です。夢はそれが実現可能かどうかで見るべきものではなく、その人の「強い願望の現れ」として見ることが出来るのではないでしょうか。人はなかなか得られないものに対して、より強い願望を抱くものです。19世紀は産業革命が起こり、物が豊かになって行く時代ではあります。その一方で、人々は傷つき孤独になり、なかなか人間が信じられなくなって行くような時代だったかもしれません。人は傷つき、孤独になればなるほど「まことの愛、まことの心を」より強く求めるのではないでしょうか。そして、感性の豊かさを失っていない市民達(すべてではない)は、芸術家達が抱いた夢や悩みを共有し、彼らの書いたものを読み、彼らが創造した作品を鑑賞したのではないでしょうか?

 ヴィオレッタの夢 

 せっかくですから、今回のオペラ公演のもう一つの対象作品『椿姫』にも少し触れてみましょう。「道に迷える女」ヴィオレッタが抱いていた夢、強い願望は、教会でアルフレードと結婚式を挙げ、神の前で永遠の愛を誓い合い、晴れてジェルモン夫人になることでした。普通の女性にとっては、それは実現不可能なほど遠い夢ではないかもしれません。しかし、彼女にとっては実現困難な遠い夢でありながら、生き続ける唯一の理由でした。帰って来たアルフレードに抱かれ歓喜に震えるヴィオレッタは、自分の病気の事も忘れ、着替えて教会へ行こうとします。そして倒れながらも教会で結婚式を挙げることを夢想します。死に行く身でありながら、そのはかない夢にすべてをたくそうとする、ヴィオレッタの心情のひたむきさ、切なさが、聴衆の心を強くうつのです。

                         (なかじま・よういち) 本会 理事・相談役 

     (音楽・美術関係のメニューに戻る)