様々音の風景ⅩⅣ  参加者からのメッセージ、コメント


◆ヒンデミット ヴァイオリンソロソナタ     演奏: Vn.北川靖子

演奏者のコメント:北川靖子(Vn.)
 

 今回、二年ぶりに出演させていただくことになり、初めてヒンデミットを弾くことにしました。
ヒンデミットは、二十世紀前半のドイツのヴァイオリン・ヴィオラ奏者、作曲家、教育者、フランクフルト歌劇場第一コンサートマスター、その後アマール弦楽四重奏団のヴィオラ奏者として活躍しました。ナチス政権下には、トルコ、スイスを経てアメリカに移住し、ボストンの音楽学校、イェール大学音楽部長に就任しました。大戦後はヨーロッパに戻り、チューリッヒ大学でも教えていました。ヒンデミットが使っていた素晴らしいヴィオラを、ハンブルク歌劇場トップの深井さん(私がハンブルクにいた1980年頃ですが、ハンブルクに深井あり、と言われた名手)が弾いておられました。協奏曲をご一緒したり、リサイタルを聴かせていただいたりして、なんとなくヒンデミットを身近に感じていましたが、「画家マティス」しか弾いたことがありませんでした。ソロソナタは、ヒンデミットが1924年、フランクフルト歌劇場長の娘と結婚した年の作品です。第一楽章は、たいへん伸びやかで、第四楽章はモーツァルトのリートの変奏曲になっていて、とてもおもしろい曲だと思います。





◆北條直彦  「パースペクティヴ」 ピアノのために 他  演奏: Pf. 古川五巳.

作品ノート:北條 直彦

 「パースペクテイブ」〜ピアノのための(ピアノのための遠近法)2009年作曲、
2009年10月の「様々な音の風景Ⅵ」で今回も演奏するピアニストの古川五巳氏のために書き初演された。その後、2010年11月、スウェーデン、マルモで開催されたNordic Piano Competitio 2010の審査員によるコンサートで同氏によって再演。又、同年、昭和音楽大学ユリホールでも同氏により演奏されている。
 曲は冒頭に出る5度音程のモチーフが全体を統一する鍵となる。続いて出る同音反復の左手の音型上に冒頭もチーフに関連した3度音程を含む旋律が乗って来る。更にモーダルな旋律も出てそれが発展し収束して後,4度の和音旋律上に中間の自由な,即興的部分が来る。しかしこれは一時的休息とも言える部分である。この部分が終わると新たにジャズ的な強いビート感,打楽器的で動的な部分が洗われるが、これは前半部の自由な変容と言って良い。クライマックスに達した後,短い回想が勢いを失って現れ,そして曲は静かに閉じられる。
――

演奏者のコメント:古川 五巳(Pf)       
音楽と言葉の根源は「音」である。ともに音を素材として抽象と具体の究極にあるテレパシーと言えるのではないだろうか。私はいつもこの事を心に置き
作品から受ける直感的結論と論理的結論を整理し演奏するよう心がけている。
北条直彦氏の3つの作品は無調を志向する作品であるが、その音楽には氏が常々語る「記憶の風景」…「心理の移ろい」「自然現象」…等々、人間が共通して持つ心象風景・体験・経験を感じることができる。
* 「響相」プレリュード 『能』『禅寺』『瞑想』これらを連想するような音楽
*「小さな絵から」    珠玉の小品、北条氏の手練が見事である
* 「ピアノのためのパースペクティヴ」
 音も技術も難度の高い北条氏面目躍如の快作



オンド・マルトノとピアノのための“青い詩” 改訂版
       演奏:オンド・マルトノ:久保智美 pf. 神田麻衣



作品ノート:中島  洋一


 青色は私が最も好きな色ですが、どちらかというと、明るい昼の青空の青より、夜の青の方が好きです。夜の青は、私を内面の世界、幻想の世界に導いてくれます。
 “オンド・マルトノとピアノのための“青い詩”は、このフランス生まれの電子楽器に、日本人としての私の感性の記憶を紡ぎ出す役割を演じてもらいたいとい想いで作曲しました。青い薄闇の中で、どこからか聴こえる不思議な笛のような音。それが、私が抱いたイメージです。お客様に、西洋の楽器と日本人としての私の感性が融合した世界を、感じていただければ幸いに存じます。
 なお、当初は大幅改定を目指しておりましたが、結果的には原作を僅かに改定したに止めました。オンド・マルトノの演奏は前回に引き続き久保智美さんが担当しますが、ピアノは、私の歌曲作品などの伴奏を通して信頼している神田麻衣さんが、担当します。ともに瑞々しい感性をお持ちの演奏家ですから、新しいコンビでの、どのような音楽を紡ぎ出してくれるか、楽しみにしております。



◆SONGS~ソプラノサックスとピアノのための
             演奏:中村有里(Sax) 山本有紗 (Pf )

作品ノート:浅香 満

この作品は
1. ララバイⅠ
2. 雪
3. ララバイⅡ
4. リラの花
5. ララバイⅢ
の5曲から構成されています。
「うた」の原点ともいえる『子守歌(ララバイ)』を最初、中央、最後に配し、
「1」~「4」は自作の歌曲、童謡の編曲になります。
「1」「3」は友人がまだ見ぬ未来のわが子へ宛てたメッセージ、
「2」は雪をモチーフとした童謡、
「4」はラフマニノフの同名の歌曲の同じ詩(詩:E・ベケートワ)の日本語訳に曲を付したもので
前奏はラフマニノフに基き、この音型は随所に鏤められております。
「5」は「弦楽合奏のための『インドネシア幻想曲』」(ハビビ第3代インドネシア共和国大統領
に献呈)の終楽章の編曲となります。
以前、中村有里さん、山本有紗さんのデュオによる素晴らしいコンサートにお招きいただ
きお二人の絶妙なアンサンブルと共に「歌心」溢れる名演に深い感銘を受けました。
特に山本さんが絶賛される「中村さんの奏するソプラノサックス」に強く心惹かれたことが
この度の企画の発端となりました。
お二人の研ぎ澄まされた感性が拙作に新たな生命を吹き込んでくださることと確信しております。


◆弦楽三重奏曲〜記憶の風景より〜その2〜 2015年作曲
                    演奏:恵藤久美子(Vn.)/百武由紀(Va.)/安田謙一郎(Vc.)

作品ノート:北條直彦


 この作品は昨年発表した「記憶の風景より」〜弦楽三重奏のための〜より以前に書かれていたのだが発表が遅れた事もあり手順が前後するがその2とした。曲は様々な記憶の断片の想起であり、それらに於ける心象風景でもある。その中にはおぞましい記憶や苦い思い出等も混沌とした中に含まれているし、又,つかの間の喜びや,一瞬の安堵感も。それらが徐々に纏まった方向性を持つようになり一つの物語が形成されてゆく,ある種の音画とも言えようか。内側の声を呼び起こすための多様な音色の必然から弦楽器特有の特殊な奏法も多く使用されている事もここに付け加えておく。


◆助川敏弥 「さくらまじ」(2003)/Gismonda(2010~2011)
                           演奏:深沢亮子(Pf.)


演奏者からのメッセージ:深沢亮子(Pf.)    

 10月26日,「様々な音の風景ⅩⅣ」で久しぶりに参加させて頂く事になり、皆様とのおめもじを楽しみに致しております。助川敏弥さんの作品は,私が30歳の頃よりお願いし,一昨年ご逝去なさるまでずっと弾かせて頂いておりました。
最初の「タペストリー」や「ピアノのための作品No1—No10」は大曲、そして難曲で、30−40分もかかる作品でした。その後ある時、助川さんが「もう大声を張り上げなくても、静かに人と話をした方がお互い通じ易いこよに気がついたので、これからはそうしようと思う」とおっしゃいました。それから徐々に作風も変っていらした様に感じます。「桜まじ」と「夜のうた」は2002年の作品で12月16日音舞会主催の「ピアノとヴァイオリンとチェロの夕べ」—数年前からこのコンサートのタイトルが深沢亮子と室内楽の仲間たち に変りましたがーで初演させて頂きました。今回は「桜まじ」の他2010−11年にかけて作られた「ジスモンダ」—初演は2011年12月に深沢亮子が津田ホール、麦の会チャリテイーコンサートで行いましたーはチェコ出身の画家,Aミユーシャの同名の絵画から触発されて書かれた作品で幻想的、何か不思議な雰囲気を持った曲です。作曲者作品解説では無調の世界と調性三和音の世界が混在すると書かれており、最後はコラールで終わります。「ジスモンダ」はミューシャのパリ無名時代に名女優サラ.ベルナールからの依頼により演劇「ジスモンダ」のポスターを描き一躍有名になり、その後も彼女のための作品が次々と生まれたそうです。
 
◆中嶋恒雄:狩野敏也の詩による3つの歌曲(2017年10月初演)
                     演奏:中嶋啓子(Sop.)/安田正昭(Pf.)
 

作品ノート::中嶋恒雄

 この曲は、1997年に初演した「そこに人がいるから」に改訂を加えて第1曲とし、また、1996年初演の「ここを過ぎて泣け」を第3曲に置き、新たに今回作曲した「風に吹かれて」を第2曲として、3曲セットの歌曲に作り変えたものである。作曲家にとって詩は、何か心に訴えるものを感じさせてくれなければ、とても曲にすることはできないが、私にとって狩野さんの詩は、始めて出会ったときから、引きつけられるものがあった。狩野さんは、ピカソの「芸術とは,真実を悟らせるための嘘である」とワイルドの「拙劣な詩は、すべて本当の感情から生まれる」を眼目として、詩作をするが、このワイルドの「拙劣」という言葉は、詩とは形であるとする一般通念からの比喩であり、音数律をもたない今日の自由詩を指すことは、述べるまでもない。狩野さん自身、「これって詩集なんですか」と女流詩人に言われたことさえあると告白しておられるように、実際に狩野さんの詩を曲にする困難さは、物語のように長い散文体にある。ちなみに、3曲目の「ここを過ぎて泣け」の全文を掲げよう。「生きものは、みんな友だち/ここを過ぎて泣け」/インドの北の砂漠の石の門に/刻まれた言葉/ああ、ここを過ぎて泣け と/インドの友は、虫けらひとつ殺さない/やさしく振り払うだけだ/次の世に、虫になるかも知れないと/本気で思っているのだ/後生を良くするために/無駄な殺生をしないと決めている/そんなにやさしいインドの友でさえ/ほかの生きものを殺めなければ/生きていけなかったと嘆いて泣く/生まれ変わったらもっと金持ちになる/来世も君と一緒になる/女に生まれ変わる、男に生まれ変わる/いったい何を、ほざいているのか/いったい何を、たわけているのか/霊長目ヒト科ヒト属ヒト/きみには、ふたたびヒトに生まれ変わる資格はない/ふたたびヒトに生まれ変わる望みもない/ヒトはおろかケモノも無理で/トリもサカナも高望み/虫ケラになるのが、せい一杯というものさ/無用に生きものを殺め続けたきみは/輪廻の輪の一番後ろについて/後生を積んだヒトのあとに/小さくなって並ぶのだ/ひとごとと思ってはいけない/そこにいる、きみのことだ/きみとは、ぼくのことだ/嘆いても間に合わない、きみの罪/嘆いても詮方のない、きみの罪/ここを過ぎて、思いっきり泣くがよい/ああ、ここを過ぎて、ここを過ぎて泣け」。この詩を、どのように歌曲化したか。聴いてみてのお楽しみということだろう。狩野さんは,多くの作曲家が彼の詩を歌曲にしてくれたが、中嶋さんのが、自分には一番ぴったりすると、いつか手紙で私に書いてくれた。この曲は、この狩野さんの言葉への返礼でもある。最後に第2曲の詩も、本来は長文であるが、これもただ、1行に込められた狩野さんの思いだけで、曲を構成したことを、述べて置こう。

◆ アンリ・デユテイーユ ピアノソナタより第3楽章
              演奏:北川曉子(Pf.)


演奏者:北川曉子のコメント


アンリ・デユテイーユ(1919〜2013)派20世紀後半に活躍したフランスの代表的作曲家。1933年からパリ音楽院で学び、1938年にはフランスの作曲家の登竜門であるローマ賞を受賞した。デユテイーユは1946年ピアニストのジュヌヴィウェーブ・ジョワ(1919〜2009)と結婚するが、このソナタは翌47年に彼女のために書かれ、初演も48年にジョワによって行われた。この作品が作曲者自身が「作品1」を付けたことからも、自らの作風を確立した重要な作品と言える。害3楽章は単独で演奏される事も多く,コラールと多様性に富んだ4つの変奏で構成された一つの連続した学窓である。作曲者がこの作品の作曲時に「典型的なフランスの技法から逃れた」と述べたように、近代フランス音楽の伝統を受け継ぎつつも独自の路線を切り開いたデユテイーユの色彩感に溢れている。(高橋健介の文を引用)








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